金沢の三文豪【343,344,345】
文字通り、石川県金沢市生まれの人物です。
【343】泉鏡花(いずみ・きょうか)
- 小説家。本名、泉鏡太郎(きょうたろう)。デビュー当時、「畠芋之助」(はたけいものすけ)というペンネームを用いたことがある。尾崎紅葉に師事し、徳田秋声、小栗風葉、柳川春葉と並んで紅葉門下の四天王と呼ばれた。
- 代表作は『夜行巡査』『外科室』『照葉狂言』『高野聖(こうやひじり)』『婦系図(おんなけいず)』『歌行燈(うたあんどん)』など。
- 生ものは食べない主義で、菓子をアルコール・ランプで炙って食べたり、酒はぐらぐらと煮立つまで飲まないなど、極端な潔癖症であった。
【344】德田秋聲(とくだ・しゅうせい)
- 小説家。本名、徳田末雄(すえお)。
- 1939、『仮装人物』で第1回菊池寛賞受賞。1941年『都新聞』にて、最後の長編『縮図』を連載。他の代表作に『新世帯(あらじょたい)』『黴(かび)』『あらくれ』など。
- 作家・山田順子(ゆきこ)と愛人関係にあったことでも知られる。
【345】室生犀星(むろう・さいせい)
- 詩人、小説家。本名、室生照道(てるみち)。別号に「魚眠洞」。
- 詩集『抒情小曲集』に収められた「小景異情」にある詩句「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」が有名。小説の代表作は『幼年時代』『性に眼覚める頃』『あにいもうと』『杏っ子』『かげろふの日記遺文』など。
- 長女の室生朝子は随筆家。
世界三大瀑布【340,341,342】
※1行目に、所在する国、川を記述。
【340】イグアスの滝
- アルゼンチンとブラジルにまたがる。パラナ川の支流、イグアス川の下流にある。「イグアス」はグアラニー族の言葉で「大いなる水」という意味がある。
- 「悪魔の喉笛」と呼ばれる最大の瀑布が観光名所。(落差82メートル)
- アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領夫人が「かわいそうなナイアガラよ」と言ったというエピソードがある。
【341】ヴィクトリアの滝
- ジンバブエとザンビアにまたがる。ザンベジ川の途中にある。
- スコットランドの探検家デイヴィッド・リヴィングストンが当時のイギリス女王に因んで命名した。ザンビアにおいては「雷鳴のする水煙」を意味する「モーシ・オワ・トゥーニャ」が公式名称。
- 観光の拠点は、ザンビアのリヴィングストン市、ジンバブエのヴィクトリアフォールズ町。
【342】ナイアガラの滝
中央競馬クラシック三冠【337,338,339】
今回は日本の競馬です。
取り上げるのは、
JRA(日本中央競馬会)3歳クラシック三冠です。
それぞれ1行目は、範とした「イギリスクラシック三冠」の競走、
2行目は、行われる競馬場と距離です(※2015年現在)。
【337】皐月賞(さつきしょう)
- ニューマーケット競馬場[サフォーク]で行われる2000ギニーステークス。
- 中山競馬場[千葉県船橋市(一部、市川市)] 芝2000m /「最も速い馬が勝つ」と言われる。
- 第1回(1939年)の優勝馬は、稲葉幸夫騎乗のロツクパーク(父プライオリーパーク /母ピオニー)。※横浜競馬場の芝1850mで「横浜農林省賞典四歳呼馬(よびうま)」として行われた。
【338】東京優駿(日本ダービー)
- エプソム競馬場[サリー]で行われるダービーステークス。
- 東京競馬場(府中競馬場)[府中市] 芝2400m /「最も幸運に恵まれた馬が勝つ」と言われる。
- 第1回(1932年)の優勝馬は、函館孫作(はこだて・まごさく)騎乗のワカタカ(父:トウルヌソル /母:種信)。※目黒競馬場の芝2400mで「東京優駿大競走」として行われた。
【339】菊花賞
- ドンカスター競馬場[サウス・ヨークシャー]で行われるセントレジャーステークス。
- 京都競馬場(淀(よど)競馬場)[京都市伏見区] 芝3000m /「最も強い馬が勝つ」と言われる。
- 第1回(1938年)の優勝馬は、伊藤正四郎騎乗のテツモン(父シヤイニングスピヤー /母エキストラ)。※京都競馬場の芝3000mで「京都農林省賞典四歳呼馬」として行われた。
競馬 アメリカクラシック三冠【334,335,336】
今回はアメリカの競馬。
3歳限定競走です。
それぞれ1行目は、行われる競馬場と距離です(※2015年現在)。1マイル=8ハロンです。
【334】ケンタッキーダービー
- チャーチルダウンズ競馬場[ケンタッキー州ルイビル] ダート1マイル1/4(10ハロン)
- 第1回(1875年)の優勝馬は、オリヴァー・ルイス騎乗のアリスティデス(アリスタイディース)(父リーミントン /母Sarong)。
- バーボン・ウイスキーをベースとするロングドリンク「ミント・ジュレップ」がオフィシャルドリンクとなっている。
【335】プリークネスステークス
- ピムリコ競馬場[メリーランド州ボルティモア] ダート1マイル3/16(9.5ハロン)
- 第1回(1873年)の優勝馬は、George Barbee騎乗のサヴァイヴァー。
- 優勝馬にはブラックアイドスーザン[キク科]のレイが掛けられ、優勝馬の馬主には「ウッドローンの瓶」のレプリカが贈られる。
【336】ベルモントステークス
- ベルモントパーク競馬場[ニューヨーク州エルモント] ダート1マイル1/2(12ハロン)
- 第1回(1867年)の優勝馬はルースレス(父エクリプスII /母バルバリティ)。
- その競走名は、アメリカンジョッキークラブの初代総帥オーガスト・ベルモントにちなむ。
リーガ・エスパニョーラの賞【328~333】
今回は、スペインのプロサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラに関する賞です。
この賞は日刊スポーツ紙『マルカ』が主催しています。
『マルカ』はスペインで最も多くの人に読まれている日刊新聞だそうです。
※それぞれ1行目は、名前の由来となった人物。
【328】ピチーチ賞
- ピチーチ(本名:ラファエル・モレノ・アランサディ)・・・1911年から1921年までアスレティック・ビルバオに所属したFW(フォワード)。
- “得点王”に与えられる。
- 第1回(1928-29シーズン)の受賞者はパコ・ビエンソバス[レアル・ソシエダ]。テルモ・サラが最多の6回受賞している。
【329】サラ賞
- テルモ・サラ・・・1940年から1955年までアスレティック・ビルバオに所属したFW。「スペイン史上最高のストライカー」と呼ばれる。
- スペイン人最多得点者に与えられる。
- プリメーラ・ディビシオン(1部)における第1回(2005-06シーズン)の受賞者はダビド・ビジャ[バレンシアCF]。ビジャは2009-10シーズンまでに計4回受賞。
【330】サモラ賞
- リカルド・サモラ・・・サッカーの歴史上最高と言われるGK(ゴールキーパー)の一人であり、「エル・ディビーノ(神聖なる男)」の愛称で呼ばれる。
- 1試合当たりの平均失点が最も少なかったGKに与えられる。
- 第1回(1928-29シーズン)の受賞者は、賞の名前にもなっているリカルドサモラ(計3回受賞)。最多の5回受賞しているのはアントニ・ラマレッツとビクトール・バルデス。
【331】ミゲル・ムニョス賞
- ミゲル・ムニョス・・・レアル・マドリード(1959~74年)、スペイン代表(1982~88年)などで監督を務めた。
- 最優秀監督に贈られる。
- プリメーラ・ディビシオンにおける第1回(2005-06シーズン)の受賞者はベルント・シュスター[ヘタフェCF]。シュスターは選手時代に西ドイツ代表でもプレーした。
【332】グルセタ賞
- エミリオ・グルセタ・・・スペインの著名な審判。
- 最優秀審判に与えられる。
- プリメーラ・ディビシオンにおける第1回(1986-87シーズン)の受賞者はヒメネス・モレーノとソリアーノ・アラドレン。最多受賞者は4回連続を含む計5回のアントニオ・ロペス・ニエト。
【333】ディ・ステファノ賞
- アルフレッド・ディ・ステファノ・・・選手時代はレアル・マドリード、アルゼンチン代表、スペイン代表などで活躍。
- 最優秀選手に与えられる。
- 第1回(2007-08シーズン)の受賞者はラウル・ゴンサレス[レアル・マドリード]。
中国四大美人【325,326,327】
今回は「中国四大美人」。ただし、楊貴妃は除きます。(※このブログは、取り上げる項目を3の倍数にすると決めていますので)
ところで、「沈魚落雁(ちんぎょらくがん)「閉月羞花(へいげつしゅうか)」という四字熟語があるのですが、四大美人の西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃は、それぞれ、「沈魚美人」「落雁美人」「閉月美人」「羞花美人」と呼ばれているそうです。
▼中国史上の3人の美人
【325】西施(せいし):沈魚美人
- 春秋時代、越王・勾践(こうせん)が呉王・夫差(ふさ)に献上した美女たちのうちの一人。※この策略の考案者は范蠡(はんれい)。
- 故事成語「顰に倣う(ひそみにならう)」の由来。
- 大根足が欠点であったとされる。
【326】王昭君(おうしょうくん):落雁美人
- 前漢の元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁がされた。呼韓邪単于の死後、義理の息子に当たる復株累若鞮単于(ぶくしゅるいにゃくたいぜんう)の妻となった。
- 馬致遠(ばちえん)の戯曲『漢宮秋』に悲劇のヒロインとしてその生涯が描かれている。
- なで肩が欠点であったと言われる。
【327】貂蝉(ちょうせん):閉月美人
- 後漢末期の三国時代を舞台とする小説『三国志演義』に登場。架空の人物であるという説が有力。
- 王允(おういん)は、貂蝉の美貌を利用して、董卓(とうたく)と呂布(りょふ)を仲違いさせた。
- 耳が小さいことが欠点であったという。