大日本帝国海軍の撃墜王(エース・パイロット)【142,143,144】
3人とも海軍軍人です。
【142】坂井三郎
- ガダルカナル島上空における戦闘で重傷を負い、出血多量で意識が遠のきながらもラバウルにたどり着いた。この負傷により右目の視力をほぼ失い、左目の視力も低下。
- 戦記『大空のサムライ』で有名。
- 僚機を撃墜されなかったことでも知られる。(これは自称で、実際には撃墜により僚機を失ったことも何度かある)
【143】武藤金義(むとうかねよし)
- 妻・喜代子さんと結婚した時は多忙を極めていたため、結婚式には出席せず、二人の結婚写真は別々に撮ったものを後で貼り合わせたものだった。
- 「空の宮本武蔵」の異名で知られる。
- 昭和20年7月、豊後水道における空戦により帰らぬ人となった。
【144】岩本徹三
- 自身が書き残したノートによると、支那事変における14機を含めた生涯撃墜数は202機。
- 「零戦虎徹」の異名で知られる。
- 戦後、手術を繰り返し、昭和30年、二人の幼い息子を残し、敗血症により38歳で死去。次男は後に航空自衛隊に入隊。