日本の撃墜王(エース・パイロット)【145,146,147】
前回の投稿の続きみたいなものですが、今回は「海軍」「第二次世界大戦」というしばりはありません。
内訳は「陸軍」2人、「海軍」1人、「第一次大戦」1人、「第二次大戦」2人です。
【145】滋野清武(しげのきよたけ)
- 通称、バロン滋野。父親は陸軍軍人の滋野清彦男爵。
- 妻・和香子(子爵清岡公張の三女)を亡くした後、渡仏。フランス人エイマール・ジャーヌと再婚。ジャーヌとの間に生まれた長男・滋野清鴻(きよとり)はジャック滋野(「和製カーメン・キャバレロ」と呼ばれた)と名乗ったジャズピアニストで、清鴻の弟・清旭(きよひ)もロジェ滋野と名乗ったドラム奏者(洋画家でもあった)。
- 第一次世界大戦ではフランス陸軍飛行大尉として活躍し、レジオン・ドヌール勲章とクロワ・ドゥ・ゲール勲章を受章した。
【146】加藤建夫(たてお)
- 大東亜戦争初期に陸軍中佐として飛行第64戦隊を率い活躍。この戦隊は加藤隼戦闘隊の愛称で呼ばれた(一式戦闘機「隼」(はやぶさ)に因む)。
- 1942年5月22日、ビルマ戦線において、ベンガル湾上空でのイギリス空軍機との戦闘で戦死。
- 1944年3月9日に公開された山本嘉次郎監督による映画『加藤隼戦闘隊』では、藤田進が彼の役を演じた。
【147】笹井醇一(ささいじゅんいち)
- 攻撃隊の創設者大西瀧治郎の義理の甥にあたる。
- “軍鶏” “ラバウルの貴公子” “ラバウルのリヒトホーフェン”。
- 1942年ラバウルの波止場での坂井三郎との涙の別れ(8月12日)の後、ガダルカナル上空でアメリカ海兵隊のマリオン・カール大尉に撃墜され戦死(8月26日)。死後、中尉から二階級特進で海軍少佐となった。