2014-08-19 豊臣政権の「五大老」【157~162】 日本史 今回は、豊臣秀吉の「五大老」。 取り上げるのは徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川隆景、上杉景勝の6人。 なぜ「五」なのに6人なのかと言いますと、小早川隆景の死後、上杉景勝が加わったからです。と、言いたいところですが、このあたりはどうもビミョーです。「五大老」というのは、当時は無かった言葉ですから。 ※見ての通り、重要事項を網羅してはおりません。 【157】徳川家康 1543年岡崎城で生まれ、1616年駿府城で死んだ。 父は松平広忠、母は於大の方(伝通院)。幼名は竹千代。 正室は築山殿(つきやまどの)。 【158】前田利家 父は前田利春(利昌)、母は長齢院。幼名は犬千代。 正室は、まつ(芳春院)。 長男の前田利長は加賀藩初代藩主。(利家の死後、五大老の一人となった) 【159】毛利輝元 「輝元」の「輝」は、足利義輝からもらったもの。 父は毛利隆元、母は尾崎局(おざきのつぼね)。 関ヶ原の戦いでは西軍の総大将。 【160】宇喜多秀家 父は宇喜多直家、母は円融院。備前宰相と呼ばれた。 正室は豪姫。(前田利家の娘。豊臣秀吉の養女) 関ヶ原の戦いで敗れ、後に八丈島に流された。 【161】小早川隆景 毛利元就の三男。兄に毛利隆元、吉川元春らがいる。 小早川秀秋の養父。 大内義隆と衆道関係にあった。 【162】上杉景勝 父は長尾政景、母は仙桃院。上杉謙信の養子。 出羽米沢藩初代藩主。 生涯に一度しか笑ったことがないと言われる。(猿が景勝の物真似をした時)