フライ級三羽烏(プロボクシング)【187,188,189】
今回も三羽烏。
1960年代に活躍した3人のプロボクサーを取り上げます。
【187】ファイティング原田
- 本名、原田政彦。中学生の時に笹崎ボクシングジムに入門。
- 1962年10月、ポーン・キングピッチ[タイ]をKOで下し、世界フライ級王座を獲得。1965年5月、エデル・ジョフレ[ブラジル]を判定で下し、世界バンタム級王座を獲得。(日本人初の2階級制覇)
- 弟の牛若丸原田(本名:原田勝広)も元プロボクサーで、バンタム級・フェザー級の2階級で日本タイトルを獲得している。
【188】海老原博幸
- 本名、松田博幸。金平正紀(かねひらまさき)と出会い、金平ボクシングジム(のちの協栄ボクシングジム)の創設と同時に入門。
- 1963年9月、ポーン・キングピッチ[タイ]をKOで下し、世界フライ級王座を獲得。
- その左ストレートは「カミソリ・パンチ」と称された。
【189】青木勝利(かつとし)
- 三鷹ジム所属。
- 1961年4月、初黒星を喫した時の対戦相手は海老原博幸。(2回KO負け)
- 「メガトン・パンチ」「黄金のサウスポー」などのニックネームで呼ばれ、強打と抜群のセンスの持ち主だったが、練習嫌いだったこともあり、世界王者にはなれなかった。